◆院長インタビュー/佐々木信之
Talk About The SasakiClinic
(text&photo by itakazu)

『スタッフや家族に支えられ、もうすぐ開業医生活30周年』

--1975年に病院をオープン、いま振り返ってみてどうです?
「あまり振り返ったことないからなぁ。あっという間ってわけじゃないけど、感想としては短いかもね。だけどその30年近くの中にはいろいろ転機になるようなことがあった。
 たとえば開業して10年経ち、私は45歳になったんだけど、ちょうど(私の)オヤジの死んだ年齢だった。父は県北の外科医でしたが、僕が高校一年の時に死んでね、それがまさしく45歳。それまではオヤジの背中を追っかけてたようなとこがあった。でも自分が45歳になり、オヤジの年齢に並んだ時、ふと思うところがあった。この年でオヤジは死んだんだ……ならオヤジの人生になぞらえるならこっからは余録の人生かと(笑)。少し達観したのかもね……この10年目が転機だった」

--その余録は何に向けられたんです?
「それまでは自分のこととか家族のことしか考えられなかった。でもそうした欲が減った。余録と思ったとたんにね。僕はね整形外科の中でも、神経ブロック麻酔科領域のブロック屋だったわけですよ。ブロックをばんばんやってた。これだけブロックしてんだから、後に続く人にこの経験を伝えたい、残していきたい、という思いが芽生えてきたんですよ。いままでは考えもしなかったんだけど、自分のような者でも、若い人のためになにかできることがあるんじゃないかってね。
 そして、そう思っていた矢先……平成元年に椎間板ヘルニアをやった」

--
先生自身がですか。
「そう。その朝、私は激痛で目覚めた。大腿部の激痛で朝4時に目が覚めたのよ『いてててて』ってね。それでヘルニアっていうのはそういう発症しないのね、ほんとうは。早朝の激痛というのは脊髄腫瘍のような症状に多い。薬飲めばなんとか診療できるんだけど、夜風呂に入ると痛くなって、また朝に激痛が襲う……そんなようなことが続いてこりゃダメだと思い、検査したらヘルニアか腫瘍という診断が下された。私はその時腫瘍だろうと思ってたけどね。
 でもまあ結局最終的な診断は椎間板ヘルニア。手術も無事終わってから、せっかく自分もなったことだし、椎間板ヘルニアを徹底的にやってやろうと決めたのね。身をもって体験したわけだからこれは強い。(ヘルニアに関する)論文やいろいろな症例なんかを集めだした頃かな、臨床整形医学会から教育講演を依頼された。腰痛い人とか足痛いとかいう患者さんを対象にしたね。それからはデータをまとめ発表、データをまとめ発表そんなことを繰り返しているうちに、何年かして「東北大学整形外科学教室」の学術業績賞をもらい、ひと通りの成果をみた」

--腰に優しい「骨盤ショット」というのもその流れから?
「そうそう。私は根っからゴルフ好きでしょ。それでヘルニアを患って半年振りにゴルフに復帰した時、正直、自分の腰にものすごい不安があった。でもね、実際やってみると意外にスムースにいく。それでまあ腰痛に苦しむゴルフプレイヤー向けになにかいいアドバイスでもできればと思ってね……考えたのが骨盤ショットっていうわけです」

--具体的にはどんなスイングなんですか
「まず頭を残さず、ボールをよく見ないのが重要。ゴルフの格言には『ボールをよく見て頭を残す』っていうのがあるけど、それは頸椎(けいつい)に負担がかかるのであまりすすめられません。このほか、右手をどんどん使うとかね。これもまた従来は『右手は使わず、左手でクラブを振る』と言われているから常識はずれに聞こえるかもしれないけど。」

--その骨盤ショットでの成績はどうですか。
「これがなかなかよろしい(笑)。整形外科医のコンペで優勝もしているし、ホールインワンも一度ならず三度も経験してしまいました。あ、いや、こうした話をすると長くなるのでね、またの機会にゆっくりとゴルフの話はしましょうか、ハハ」

--では普段、先生が心がけてる患者さんとの接し方などを教えてください。
「う〜んそうだな……それはね言いたいことは言うようにする(笑)。あとは挨拶をきちんとして、なるべく話しやすいような雰囲気をつくってあげたいと思ってます。患者さんの話を聞くところから診察は始まってるからね。いつも肝に銘じているのは診療で背伸びしないということ。世の中にはけっこうかっこつけたり、威張って診療する医者も多いから(笑)。いちがいに言えないけど、私には合わない……そのまま地でいってるのよ、どんな患者さんが来てもいつもいっしょ、そういうスタンスのほうが自分がラクだからね」

--とても気さくな印象を受けますが。
「かっこつけないからだろうね。それと根本的に私は『人間が好き』」なんですよ。私はたいていの人に対して、自分の味方だと思うほうで……まあ、それがはずれてだまされたりすることもあるんだけど(笑)。でも病院を長く続けられたのは、いい人に恵まれた部分が大きい。私の『人間好き』」はおおむねプラスの方向に進んでいると思います。その時、その時でいろんな人に助けられてる。恩師や同僚、スタッフ、家族……人間の縁くらい不思議なものはない」

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■佐々木信之・略歴
1940
213日生まれ
1965
年 岩手医科大学卒業
1965
1966年 岩手医科大学附属病院にて実地修練
1970
年 岩手医科大学大学院医学研究科博士課程卒業
1970
年 秋田労災病院整形外科副部長
      岩手医科大学涌澤教授のもと麻酔科研修
1972
年 恵生会河南病院整形外科科長
1973
年 岩手県立福岡病院整形外科科長
1975
  佐々木整形外科麻酔科クリニック開設
1995
年 東北大学整形外科学教室同窓会学術振興基金学術業績賞受賞
1996
年 岩手医科大学非常勤講師 麻酔科/整形外科
1999
年 仙台市医師会学術奨励賞受賞
2000
年 医療法人あいびー 佐々木整形外科麻酔科クリニック開設
2012年 日本整形外科学会功労賞受賞
2013年 「運動器の10年」世界運動から「被災地健康運動支援とロコモ予防ソング」が優秀賞受賞

■免許資格
・麻酔科標榜医
・日本整形外科学会認定整形外科専門医
・日本整形外科学会リウマチ医
・日本整形外科学会スポーツ医
・日本体育協会スポーツドクター
・日本医師会認定健康スポーツ医
・日本ペインクリニック学会認定医

■役職
・岩手医科大学圭陵会幹事 1998
・日本腰痛学会評議員  1998
・日本運動器リハビリテーション学会評議員 1999
・医療法人社団 東北福祉会理事 2000
NPO法人 骨と関節を守る会理事長 2004
・学校法人栴檀学園 東北福祉大学特任教授 2004

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